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中央と分散、西洋と東洋

少し組織論的なお話になるかもしれませんが、この昭和~平成までに社会に起きた大きな変化をざっくりまとめると、

近代化による中央集権化から敗戦、アメリカ化、グローバル化、破壊、不信、そしてデフレ経済となり機能不全といった具合だと思います。

平成も終わりに差し掛かっている中、今後の展開を想像するに、より分散化した社会なのかな?と思ったお話。  

 

振り返って見てみるとマクロ的にではありますが、政府は民営化、企業はコストカット、リスク分散でアウトソーシング等の分業化、家族は核家族化、テレビ、エンタメ系はネット化(ざっくり)というふうに、

現在あらゆる業界にあらゆる形で起きていることは中央への不信と崩壊、そして分散化だと思います。

 

以前からもリベラル、リバタリアニズムや、いわゆるコスモポリタニズム系の文脈で語られてきた事なのかもしれませんが、

ここにきて必ずしもそういった文脈ではなく

全てを正⇔誤としてしまう様な西洋的価値観からのパラダイムシフトといった観点からも語られてもいいのではないか?という気もしてきました。  

 

西洋思想というのは、いわゆる一神教的世界観や、会社や学校であればトップダウン型(軍隊式)であったり、自然に対する向き合い方にしても支配型であり、西洋近代国家に由来する事ですが、旧来の中央集権型でもあります。

個人で言えば、英語言語の思考からくる自己主張型であったり、リバタリアンに見られるような個を過大評価するようなヒロイズム的な価値観もあるのかもしれません。

 

翻って東洋型は多神教的世界観であり、経営学で言うとピーター・ドラッカーのようなボトムアップ型であったり、伝統的な建築様式や日本庭園と西洋庭園の違いからも分かるように

自然共存型で多極分散型社会に近いと言えます。

また個よりも連帯に重きをおくあり方や、近年のネット文化的に言えば、よりオープンソース思考で良くも悪くも個人は全体のいちノードでしかないという仕組み。

これは最近話題のブロックチェーン技術や、以前からあるP2Pや分散型ネットワーク(たまねぎ)とも重なり、基本的な日本人像とも重なる気もします。

 

あ、西洋と東洋の違いは医学で言った方が分かりやすいかもしれない。

全体をひとつとするのが東洋医学で、足つぼでどこが悪いのか当ててしまう感じ?

(・・あれって本当に当てているのか?という胡散臭さはありますが。)

スポーツでいえば、全体で総合力が高いチームという感じですかね。

西洋は即効性に重きをおいたそれぞれ専門医が携わるような縦割りで部分治療的

スポーツでいえば個人技でスター選手が活躍するチームという感じでしょうか。

 

一部のジョブスやビルゲイツに代表されるような、おそらくヒッピーカルチャー(スピリチュアル)から来たであろうインドや

禅等の東洋思想に影響を受けたプログラマーやハッカー達が標榜している事でもありますが

今となってはアップルやマイクロソフト、またはグーグルなんてのはどう考えても典型的なトップダウン型や支配型ですよね

・・・そこはやはりアメリカ的なのでしょうか。  

 

もちろん、あくまで強引に西洋と東洋という前提をおいているので、東洋にも儒教や朱子学のような封建的なピラミッド、トップダウン型もありますし、

実際はもっと複雑なので、中央か非中央か等という二元論に解決を求められるものでもありませんね。

適材適所で両輪の様に絡み合う形かもしれませんし、そんなもん有りえないのかもしれません。

 

人によってはそれは社会主義や共産主義、はたまた連邦制や地方分権だと解釈される方もいるかもしれませんが

そういった様々な歴史的経緯や提案も含めて、より複合的にオープンで分散した技術を適用した近代国家像なんてものはありえるのか?という一つの問い立てですね。  

 

最近言われている地方分権も地方間格差を助長するただのリバタリアニズム(ホリエモン的なやつ)でしかない気もしますし

現状は民衆制によって中央権力が弱体化してきた結果だとも言えますので、中央権力をより強化する方向もありえます。

 

また消去法でいけば昨今見られるような、どこいっても同じお店ばかりが並んでいるようなものでもなければ

サプライチェーン化の様に結局は中央への最適化の手法のようなものでもない。

 

それぞれにイニシアティブを任せる幕藩体制や連邦制のような地方分権が分散化となりえるのであれば

その問題点である地方間格差を解消する仕組みも同時に必要なのでしょう。

 

そうして考えていくと、現在言われている無駄(税の分配)とは一体何なのか?それは本当に無駄な事なのか?

国や地方自治体ですら税収を上げる事が第一義の目的というのなら、それは国ではなく企業ですから

そういった目的と手段、税(お金)は何の為にあるのか?といったところの再解釈が必要なのでしょうね。

 

またそうなるには徹底した機械化、AI化によって合理化を進めた先にやっと受け入れきれる事なのかもしれません。  

 

日本は位置的にも文化的にも、西洋と東洋を吸収してきた歴史的な経緯もあることですし、

それをイデオロギーに基づいた決定論的に陥ることなく

地の利を活かすような問いの立て方こそが必要なのかな?と思ったり思わなかったりラジバンダリする今日この頃です。

 

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