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「西洋音楽史」岡田暁生著のポイントを備忘

ちょっと前に読んだ「西洋音楽史」岡田暁生著について自分なりのポイントや言葉、疑問を備忘。

あくまで著者の観点から書かれた西洋音楽史なので、様々な見方があるとは思いますが、とりあえず考察のたたき台としてみる。

結構疑問に思っていたような事が書かれていたので面白かったですね。逆に疑問が増えましたが。

 

本の中でも触れていましたが、なかなかアカデミックの場で西洋音楽史を全体的に論じるのは少なく、それぞれ時代も長いのでロマン派ならロマン派だけといった風に各々がその専門だけになりがちとのこと。

またこうして全体を論じる場合、バイキング形式のように様々な連関から分断した非歴史的空間で語るのではなく

その時代は前時代と比べてどういった違いや特徴があったのか?またはその流れという観点で解釈しますので、そういった歴史的文脈に重きをおいた考察になっています。

現代の様に情報が伝わるスピードも全然違いますから、実際にはきれいにセパレート出来る訳もなく、色々複雑に絡み合っているのでしょう。

ちなみに基本自分の解釈した言葉で備忘してるのであしからず。

 

以下気になった言葉やポイント、疑問

  • 西洋音楽といえど発端はあくまでその場に根差した音楽であり、それは世界でもっとも有名な民族音楽。つまりは民謡であり暮らしにあった教会音楽が始まり  

          

  • その後の芸術音楽とは当時のエリート層の音楽であった。あらかじめ「楽譜として設計された音楽」、エリクチュール(書かれた)された音楽である。それは後から採譜されるような民謡やポピュラー、即興的なジャズでもない。前提として芸術音楽=高尚、または優れた音楽といった紋切り型の解釈ではなく、当時は読み書きが出来る人も限られ紙も貴重品であった為、労働の必要がなく宗教を前提とした教養として、宮廷やその後の貴族の社交界が主。

 

  • どんな音楽であれ適切な聞き方、聞く姿勢がある。それによってその音楽の魅力が減る事がある。疑問⇒TPO的な事かな?それはその音楽を様々な連関から分断しない事なのでしょうか。音楽の文脈から考えると音楽を宗教やオペラや演劇、近代ではライヴ(生演奏)等から分離し、録音技術の発達によって音楽それ自体を鑑賞するスタイルなんてのも分断にあたるのかな。その土地の文脈から分断された近代合理や、砂粒化した個人にも通ずるかもしれません。

 

  • 作曲とは静寂との対立である。旋律を消すとは静寂の方が良いという判断である。 

 

  • 19世紀以降に成金スノッブが現れブランド化。音楽的な変化は知的な表現よりも、大衆にアピールできる音楽、ハッタリ?大音量と高度な技術(早弾き的?)または奏法の開発等。蛇足⇒ちなみにいわゆるブルジョアとは都市部の商人階級の富裕層、資本家であり、それまでの貴族とも農民とも違う。

 

  • また音楽学校なるものの出現もこの頃で、作曲(表現)の為の楽器ではなく、楽器専攻が現れる。

 

  • 芸術的サロン音楽に対して、一般マス向けに簡易版サロン音楽が流行る。それは難しい楽曲を簡単にした楽曲。ドイツではキッチュやトリビアル音楽(末梢的)呼ばれた。マスネ(タイスの瞑想曲)やグノー(アヴァマリア)等が典型的な作品として挙げられる。

 

  • ロマン派の時代になると、大衆に広く聞かれるようになる。それは以前のパトロンの求めに応じる必要はなくなりはしたが、大衆にアピールする必要が出てきた。
    現代と同じ様に目立つ事や独創性(オリジナリティ)が求められた。これまでのアカデミックな職人的なうまさ(客観性)から芸術家の独創性(主観性)の時代。
  • ロマン派は(省略)のような観念であった。以降の新古典派とされるストラヴィンスキー等の時代はロマン派で大事にされていたオリジナリティを否定し、調性音楽内での限界を前提とした高度で独創的なアレンジでパロディ化した。つまりはアーカイブ派?また逆にシェーンベルクは西洋音楽史の王道路線(カウンター)を辿り新たな可能性を求めた。
     
  • 19世紀のロマン派の現在の継承者はポピュラーミュージック。理由は通俗的な曲想や公衆の存在、良くも悪くも一種の感動ポルノ的(語彙力)な部分が共通点。疑問⇒音楽における通俗とは具体的に定義しうるのか?感動のない音楽とはいったい・・・

 

  • 神亡き後の絶対を求めたドイツロマン派の詩人の音楽観から疑似宗教的な構えが生まれた。ここから絶対音楽、標題音楽が生まれる

 

  • リストやワーグナーの言葉を超えた内面を描く標題音楽は写実主義とも峻別される

 

  • またブラームス等の絶対音楽とは文学的なものが排除されたもの。疑問⇒表現の矛先が言葉で示されるものではなく、風景等の具象的な風景描写でもなく、内面をかく抽象的な音楽?音楽は音楽でありそれ以上でも以下でもない。

 

  • これまで音楽家は高い地位はなかったが、ドイツロマン派以降にニーチェ、ショーペンハウアーやキルケゴール等の哲学者が高く評価し始めた。権威主義?
    ニーチェがワーグナーを批判したのは俗物臭や胡散臭さ、芝居かかった旋律法。だが同時に彼の繊細な和声法はドイツロマン派の内面性からしか生まれなかった

 

  • 俗悪なハッタリから音楽の形而上に至る19世紀音楽史を総合したワーグナーは宗教になった。疑問⇒芝居かかった旋律法とはなんぞ。いかにもっていう感動ポルノ的(語彙力)なやつ?機能和声に執着し過ぎる?過剰な装飾が多いってこと?うーむ。

 

  • ドイツでは深さや内面性を重んじた。ドイツ音楽の偉大さを形容する決まり文句。難しいクラシック、または芸術音楽 VS 娯楽音楽の対立構図もこの頃からはじまった。
    イタリアではそれをムジカテデスカといって小難しくて楽しくない音楽と揶揄された。音楽的には交響曲や弦楽四重奏、ピアノソナタ。つまりはベートーヴェン。
    芸術音楽 VS 娯楽音楽、両方に共通しているのは感動であった。

 

特にまとめもありませんが、現代にも通ずる中々面白そうなポイントがありますね。

またこういった流れから今に至るブルースやジャズ等のポピュラーからのカウンターといった大きな潮流も見えてきます。

それは貴族の没落と崩壊、奴隷の解放からトクヴィル指摘した「多数者の専制」に至るまで、その闘争と世界規模の戦争史や(主に西洋ですが)、近代化と東洋の関係性まで含めると、もうそれ自体が西洋史や文化論に繋がっちゃいますね(笑)

またその根底には思想哲学含まれてますので、そもそもカテゴリー別に分けるなんて不可能。(⇐あ、これが分断かもね)

正解はないのは前提ですが、やはりその時代の環境からのフィードバック等による自らの動機にしか導かれないという事でしょうか。

 

ま、暦ではなにやら秋みたいなので、たまにはこういった西洋のアカデミックな偉人達?(実際は今でいうところの反社会人的やべぇ奴等の)音楽や考察にふけって今は亡き死者と対話してみるのもいいかもしれません。

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