社会環境や、個人のライフスタイルに対して、不可抗力で圧倒的な影響のあるお金や経済って一体何なのだろう?と漠然と考えることがある。
メディアでは「ハイパーインフレになるー」、「財政破綻するー」等とよく言われているようですが
そういった疑問に分かりやすく答えてくれているのが以下「三橋貴明チャンネル」
「新」経世済民新聞 三橋貴明 公式チャンネル
経済って興味あるなし関係なく自分や社会、国自体の方向軸を決めてしまうもの
その影響力は控えめに言ってパない
でもその方向性を決める基盤にある経済学には派閥というかそれぞれの文脈がある。
とりわけ大きな三大派閥をざっくりあげると、
1.マルクス経済学(資本主義の限界を説いた。左側、社会主義、共産主義者に多い)
2. 新古典派経済学(現在の主流派。右側、小さな政府。トリクルダウンとか色々と実体と合ってない。リフレ派もこっち)
3.ケインズ系経済学(大きな政府。三橋氏やMMTはこっち)
※下記はMMTを主張するステファニーケルトン教授
取り上げるのは昨今アメリカはもとより、日本でも議論を巻き起こしているMMT(現代貨幣理論)
このMMTってのは、先に紹介した新しい経済学や理論というより貨幣の創造プロセスを説明した貨幣理論だそうです。
で、そのMMT派が主張している事で最も重要なのは、日本はもとより世界的な主流派である「新古典派経済学」には、基本的な貨幣の創造プロセスが抜け落ちていると主張している点。
これは天動説から地動説へ位のインパクトがあり、そもそもこの認識に立たなければ正しい現状分析ができないため、デフレ不況は永遠に終わらないといいます。
彼等の主張が正ければ、恐らく歴史的転換点となりえるだろうし、これまで主流派のドグマによってもたらされた社会への影響(自殺者の増加等)、各業界への機会的損失に思いを馳せると・・
少なく見積もっても万死に値すると思いますので・・・やはり駆逐、修正したほうがいいでしょう。
では、もう少し具体的に整理しつつ、自分なりに以下にまとめてみました・・・
1.以前から経済学では「主流派経済学(新古典派経済学)」と「ケインズ系経済学」で主張の違い、対立がある
有名なのはケインズ系経済学の「政府が市場をコントロールすべき」論と、ハイエク等、主流派経済学(新古典派経済学)の「自由市場にまかせるべき論」です。
ケインズ系経済学派がベースとなっているMMTが強調している点は、そもそも主流派は貨幣が何かが分かっていないという点なんですが・・・この主張がもし本当なら、それって相当ヤバくないですか?
甚大な影響力を考慮すると、この主張が間違っていたとしても慎重に議論、精査する必要がありますよね。
2.主流派である新古典派経済学は未だに貨幣を金貨や銀貨と勘違いしている
主流派は「商品貨幣論」という、未だ金貨や銀貨的にお金自体をモノと前提とする金属主義が土台となっていて、
「ケインズ系経済学」やその流れのMMTは、お金自体はモノではなく国の徴税権(強制力)がお金の価値を担保しているという信用貨幣論です。
※このへんは暗号通貨勢も「主流派経済学」に倣って間違っています。
3.ハイエクvsケインズって論点(小さな政府vs大きな政府)も面白いけど・・
MMTが主張しているのは、そもそもなぜそんな「小さな政府vs大きな政府」といった対立ができるのか?それって本当に必要なのか?ってこと。
主流派である新古典派経済学が、小さな政府を目指す根本的な理由はいわゆるお金のプール論に基づいた「財源論」です。
つまり、お金を発行、または生み出す為には金貨や銀貨(物)のようにどこかから持ってこないといけないと思い込んでいます。
だから常に「血税ガー」とか「財源ガー」とか、「借金ガー」「無駄ガー」となる訳ですね。
しかし、それは上記の金属主義に基づく誤った認識が土台にあるため、貨幣供給自体(国債発行)に制限があると実体からかけ離れた誤った解釈をしているってこと。
お金って金でも銀でもなく、ただの紙切れですよね・・・そりゃ見りゃ分かりますよね?・・・
それがなんの紙切れかっていうと「日銀の債権」という紙切れです。
お金が日銀の債権ってことがどういう意味かというと、お金=借金そのものってこと
なので、本来は国内の経済状況により政府が国債を発行し、それを日銀が買い取って貨幣を供給しなければ、お金の量は増えないし生み出せないってことです。
なので民間にお金が足りないデフレ期には、公共事業や減税等を通して民間需要を促し、お金を供給する必要があるのですが、
主流派の「商品貨幣論」をベースにすると、無駄を省けと政府までもが支出削減や増税でお金を吸い上げる
すると当然、民間のお金の流通量がどんどん少なくなります。
その結果、パイの奪い合い(バトロワ、過当競争、搾取の構造化)が起こり、本来の価値であるあらゆるサービスや技術よりも、相対的にお金という紙切れの希少性が増し、価値がどんどん上がっていってしまいます。
日本はそれをバブル崩壊以降、この間違った認識を基に30年近くやってきており(今もナウ)、慢性的なデフレ状態な訳ですね。
アベノミクス(主流派をベースにしたリフレ政策)では、日銀が量的緩和を実施しましたが、いくらやっても日銀当座預金の残高が増えるだけで、民間は借りれないし、流通する訳もなく、インフレ(物価上昇)は起こりませんでした。
つまりは現状でリフレ論が有効ではないってことが証明された訳です。
期待インフレ率も極めてふざけた机上の空論だった訳ですね。
4.価値があり制限があるのは紙切れではなく、供給力や強制力などの実体そのもの。
このへんは中国がなぜ存在出来ており、急成長しているのかを考えたら一目瞭然です。
MMTが主張しているのは、財源論が間違っている以上、供給制限があるのは、その国の実体=供給力(技術やサービス)そのものである点。
決して打ち出の小づち等ではなく、国内の生産力の限り(インフレ率)において、借金=貨幣発行量の制限はないということ。
5.インフレ期とデフレ期ではやるべき経済政策が真逆
そうして導かれるのは「主流派経済学」がよく言っている(サプライサイド(供給側)、増税)は主に需要過多のインフレ期にやるべき策で、デフレ期の需要縮小期には「ケインズ系経済学」(デマンドサイド(需要側)、減税)で有効需要を国が作らないといけないということ。
そもそも需要がない局面で民間は儲からないので投資しませんし、出来ませんからね。
6.国の役割はそもそも非営利で、富の再分配(政府と日銀は統合政府なので国債(借金)は相殺する)
そもそも通貨発行権を有する日本の国債(借金)は自国通貨建てなので破綻するわけがない。
しかも国家と日銀を統合政府と考えれば連結して相殺します。政府と民間のバランスでもいい。
であれば貨幣的な制約はなく、供給力による制約しかない。・・・それだけやん?⇒補足はこちら↓
7.そもそも「円」は「国家」の管理下にあるので、「円の信認ガー」と騒いだところで、「円」のために「国家」がなくなることもなければ、国民が消えてしまうこともありえません。
「政府と民間」という見方をすれば、政府が借金をして公的に支出(公共事業、社会保障、防災、減税政策等)をすると、政府の借金は増えますが、その反対に民間の資産が増えるだけです。
つまり実体は、現在の一般的な認識とは真逆なんですね。
なので目的と手段のはき違えるのやめるべきなんですが、残念なことにこれが「無駄を省け」いうルサンチマンと合流し、越えられないバカの壁となっています。
上記の前提で考えると、「無駄を省け」というのは自ら民間の資産を増やすなと言っていることと同義です・・・。バカなの?マゾヒストなの?というレベルですね(悲)
そもそも無駄とは一体なんなのでしょう?
無駄とは余剰のことでしょうか?
余裕やゆとりのことなのでしょうか?
今生きている我々の現実において、未来は誰にも分かりません。
ってことは、将来何が必要なのか、なんて誰にも分かりません。
そうやって商業的に合理化した結果が今な訳で、実態はただただ脆弱化しただけでした。
そのいった緊縮思想を30年近くに渡り実施し続けた結果、自らの首を絞め、将来世代を毀損しつづけ、少子化や希望のない閉塞的社会を作り出してきた要因なのは明らかなのではないでしょうか。
・・・「三年寝太郎」を何万回か読んだらいいね。
8.この国はインフレすら抑制出来ないからダメだっていうMMTへの反論って一体何なのでしょうね・・・
いや、多分テレビの見過ぎなのでしょうが、デフレ脱却出来てないんだからむしろ的確に抑制出来てるやん・・逆に滅ぼしたいのでしょう。
ここで少し話を変えて、おすすめの映画をご紹介。
覚醒コンテンツって意味では、ヒキタクニオ原作、窪塚氏主演の「凶気の桜」はおすすめです。
例えば主人公の山口(窪塚)がファミレスで所かまわずくっちゃべる若者に対して
「おめえん家か、あの店は?うるせーんだよ、オメエらのきたねえ、棒とか穴とかの話聞きたくねーんだよ。こっちはサラダ食いに来てんだろーがッ」と頭にバリカンを入れながら説教してみたり(猛爆)
ヒロインの女子高生が、子連れの母親を無視し続けて席を譲らないサラリーマンに対して
「ほんと腐ってますよね、日本人って」って呟くシーン等・・・・今見ても未だに続いてる空気(欺瞞や閉塞感)を感じます。
ちなみに実体のほうの「平成維新だ、馬鹿野郎」は、小泉、ケケ中の構造改革(小さな政府論)という日本破壊でした。
・・なんだか右左イデオロギー以前に、自らの先天的に持っているアイデンティティなくして、主体性もクソもないんだろうなぁ
ちなみに劇中で流れてるKダブシャイン氏とかもそうだと思うけど、レベルミュージック側の先人たちが実践してきたことは、DIYやインディペンデント、つまりは独立性の担保(奴隷精神批判)ですが、これは諭吉先生や、西部邁先生が論じていた国家のあり方も同じです。
まとめ
はい、話をMMTに戻してまとめると、そもそも通貨が何かを理解していない「主流派経済学」に基づいている限り、デフレ解消は出来ないってことかな。
彼等の理屈に基づけば、借金という理由により震災後に復興増税なんていう愚行を行う国家に成り下がってしまいます。
逆にMMT等の現代貨幣理論(単なる事実)に基づけば、話がひっくり返る(正常化する)ので、国家の財政や、通貨供給量自体がただのスタビライザー(インフレ率の調整)という意味しかなくなります。
そうすれば、そこに紐づいている国の借金をベースにした、小さな政府論とか、少子化も年金も奨学金もetc、ただただ粛々と供給すればいい訳で、マクロ的には何も問題ないということになります。
消費増税も国民が消費に対する罰金を支払うという、クソしょうもない意味しかない
まさに「Too Much Focus」
もちろん決定論に陥ってはいけないのは前提ですが、30年近くも解消されないこの国の状況が証明しているわけで、大げさでもなんでもなく、これがこの国、いや、世界的にももっとも必要で、重要な覚醒コンテンツじゃまいか・・
そんなウジャウジャなおサル脳をスッキリさせたい(自省)今日この頃でした。