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知ってることと知らないことの壁

唐突ですが世の中を知っていることと知らないことで分けてみます。

 

おそらく知らないこと(知る必要がないこと)のほうが圧倒的に多く、この世界はほとんど知らないことで構成されていると言ってもいいと思います。

 

情報過多なんてこともよく言われるので、そのらへんの知っていることと知らないことの違い、差異みたいなことをちょっと考えてみました。

 

さしあたり、未来のことと他人の気持ち、この二つばっかりは誰にも分かりません。

 

どんなに検索しようとも、明日の株価すら分かりませんし、あの子の気持ちは本人に聞かないと・・いや、聞いても本当のことを言ってるのかどうか(モジモジ)・・・ま、おそらく一生知る事は出来ません。

 

実はマクロ経済でも、未来で起こりえる投資の拡大や生産性向上は不確実性が高く、計算のしようがないので「存在しない」ことになっているようです。

考えてみると未来が知りようがない以上、後付け的に分析して意味を見出しているのだと思います。

つまりは当然だけど、過去の経験測でしか測れない帰納的な側面が強いと言えそうですね。

 

なので現実社会で多少なりともリスクをとって投資や事業をしようとしたときなんかは、出来うる予測はするでしょうが、実際のところは誰にも分からない

 

良くも悪くも絶対はないってことですね。

 

そこで心理的な支えになってくるのが、流行りや需要とは関係のない、本当に必要なことを知ることや、そのもの自体の価値や、職人として誇りをもって生きていこうと決めてみるみたいな、その他に対する諦め(脱テンプレ人生)みたいなことなんだと思います。

 

ちなみに30年近くデフレのこの国では、心理的、経済的なハードルが極限まで上がっているので、それが動機を失わせ受動的ニヒリストになってしまう原因となっています。補足はこちら

 

なので個人では中々それが難しいんだけど、やっぱり相対に対しては自身の揺るぎのないもの、例えば自身が選びきれない先天性、例えば日本国民であることや、地方のアイデンティティや自身の好きなこと等、絶対的なもので抗うしかないのかもしれません。

 

熱中できることや、損得なしでやってけると思えるものとか、「そんなこと言ったってしょうがないじゃないか、俺は職人なんだから」(非えなり)と開き直れる感じかな

 

あるいは失敗を繰り返しても後悔しない態度ってことなんでしょうか。

 

運よく一時はうまくいったとしても、それから先もあるわけで、もしかしたら一生かかるかもしれないし、本来お金は引換券。使えばすぐなくなるし(誰かの所得にはなりますね)、あの世には持ってけません。

 

・・・それってどれだけドラクエで時間をかけてレベル上げしても、あの後にくる虚無感に堪えうる覚悟を試されてるってことなんか(真顔)・・オタク気質ってもしかしたらこの虚無感を埋めるために、あれこれ知識を貪ってるのかもしれない・・と、ふと思ったけどそこは気づかないふりをしておきます。

ただこれデフレ期だからそこまで考えちゃうだけで、正常だとそこまで考える事じゃないと思うんですよね・・・デフレで相当リスクがデカくなってしまうのでしょうね。

 

話を戻すと、同じようなことで以下にも繋がっていくように思えます。

未来は誰にも分らないことを前提とすれば、「○○万儲かる方法ッ」なんて書いてるような詐欺的な情報ビジネスなんかには騙されないかもしれません・・・不況時にはそういうの流行るみたいだから実質選ばされてるんだよなぁ、だって普通に仕事して不自由しなければ誰もやらないよね?

・火薬、羅針盤、活版印刷術、産業革命はそれ以前と以後で生活はガラッと変わりました。誰かの技術と人的/金銭的投資と失敗があったから出来たことですね。冷蔵庫からグーグル、ヨウツベまで、今じゃ誰でも使っています。

・あらゆるコンテンツや芸術、音楽も、その作品を知るまでは想像すらしてないですね。

・社会、交通インフラ。そもそも未来が予測できないのに、B/C(費用対効果)ってね・・。優先順位はあれども、今までの経験則にとどまらず、そこに道が出来ることで広がる商圏や考えもしなかった利便性があるかもしれません。

・因果関係が逆で、道がないから費用対効果がないのであって、道がある世界は誰も知らない。失敗のない投資があれば誰もがやっています。

・一度読んだ本なんかも、当時は分からなかったけどもう一度読み返すと新たな発見があったりします。

・哲学の認識論はこうしたもっと根源的な人間の認識を懐疑したものです。(存在とは・・)

・プラトンの「洞窟の比喩」では現実を見る人と、誰かが写した影(虚像)を見続ける人でそれを例えています。

・ちなみに最近の個人的なトレンドバカは、ネット情報とわずかな己の極小経験則のみで全てを知っていると勘違いしてしまう全能感おバカ

 これをやってしまうと人を小馬鹿にする(マウンティング)相対主義者のニヒリストになってしまい、それはいわゆる畜群大衆といった部類に入っちゃいます(自省)

・ニーチェやオルテガの言う畜群や大衆は、テレビ(虚像)の見過ぎなのか常にデザインされつくした完成品(型)のみが正解だと勘違いしている傾向があります。

未だ知らない何かを生み出すことへの可能性や想像力がないので、比べようのない横綱と前頭(新人)を比べたり、ボタンを押せば完成品が出てくるくらいに思っているようです・・・過程がなく完成品しかないのなら後は滅びるだけです。

・ええい、しゃらくせー、さっさとデフレという過当競争を終わらて・・・

そういや昨今プリウスミサイルがトレンドのようですが、霞が関や財務省に発射してください。そこが本丸よぉー。

 

  • まとめ

つまり、我々人類は バカ

未来は分からないけど、人間がバカなのは知っているし、その中でも信用できる人間がいるのも多分知っている。

地球環境や社会等の複雑で圧倒的な情報量に対して、当然だけど基本的に何も知らない。

常に何がうまくいくかも分からなければ、何がダメになるのかも分からない不確実性のある社会で、しかもそれは流動的で変わっていきます。

そもそも答えのない社会で、一度きりの人生をどう自分なりに充実して生きていけるかってことなんだろうな。

裏を返せば、それにさえ気づければ、まだ認識してないだけで既に全てがあるとも言えるかもしれません。(フロム未来は僕らの手の中

我々が生きているのは過去でも未来でもなく、常に今この瞬間でしかない(棒)と感じる今日この頃でした。

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